富田林興正寺別院(とんだばやしこうしょうじべついん)は、大阪府富田林市富田林町にある真宗興正派の寺院で本山興正寺の別院となります。
御本尊は阿弥陀如来。
富田林寺内町の中核となる寺院としても有名です。
寺伝によると、そもそもは応永年間(1394年~1412年の間)に毛人谷村(えびたにむら)小字古御坊(こあざふるごぼう)に建立された一向宗(浄土真宗本願寺派)の道場が当寺の前身であると伝えられています。
1560年(永禄3年)に興正寺第16世証秀が石川の西側にある「富田の芝」と呼ばれた荒地を境内地として買いうけ、周辺4村の庄屋8人とともに富田林寺内町を開発し、永禄年間(1558年~1570年の間)に建立されたそうです。
【境 内】
● 本 堂…1638年(寛永15年)に再建され、1692年(元禄5年)までに増改築を行われているそうです。本堂にある襖絵「竹梅図」「松図」は狩野寿石(かのうじゅせき)によって描かれたものだそうで、浄土真宗寺院の本堂としては大阪府内では最古、近畿でも最古級の建築であり、江戸時代初期の浄土真宗本堂を知る事ができる遺構として建築史上においてもきわめて重要な建築物だそうです。
● 対面所…書院として使われた建物で、1857年(安政3年)建立されたそうです。
● 庭 園
● 庫 裏(くり)
● 証秀上人記念碑…1895年(明治28年)4月11日竣工されたもので、記念碑の文字は平安神宮初代宮司を務めた壬生基修(みぶ もとおさ)伯爵によるものだそうです。
● 鼓 楼(ころう)…18世紀後半頃に再建されたそうで、1810年(文化7年)に現在地に移されたそうです。
● 御成門(おなりもん)…18世紀前半頃の部材を含む門で、1858年(安政4年)頃に現在地に移築されたそうです。
● 長屋門(ながやもん)
● 蔵
● 鐘楼(しょうろう)…文化7年(1810年)再建された、または、江戸時代後期の再建で文化7年(1810年)に現在地に移築されたと言われています。
● 築地塀(ついじべい)…江戸時代末期の頃に建てられたそうです。
● 山 門…京都興正寺の北之門を1858年(安政4年)に現在の場所に移築したもの。伏見城の遺構との伝承があり、現存する山門には城門の遺構らしき部材も含まれるそうですが、古材を一部再用して江戸時代初期に建立されたものとされていたり、または、梁に興正寺では用いない「丸に四方剣花菱(しほうけんはなびし)」の紋が透かし彫りされていることから、どこかの武家屋敷のようなところから移築されたものであるとも推測できます。浄土真宗の寺院が有するものとしては大規模で豪壮な薬医門(やくいもん)です。
【保有する文化財】
● 本 堂
● 対面所
● 鼓 楼
● 御成門
● 鐘 楼
● 築地塀
● 山 門
※すべて重要文化財に指定されています。
















