瀧谷不動尊明王寺は、平安時代前期の821年(弘仁12年)に、弘法大師・空海が国家の安全と国民の幸せを祈るために開かれたお寺。
御本尊は不動明王で、日本三不動のひとつともされ、「瀧谷のお不動さん」とも呼ばれています。
昔は南海高野線「滝谷駅」からや近鉄長野線「滝谷不動駅」から歩行者天国ができるほどにお不動さん参りで親しまれていて、年に50万人以上もの人がお参りされているそうです。
目の病気にご利益があるとされ、「芽の出るお不動様」とも呼ばれているそうで、眼病平癒や厄除けの霊場として昔から知られています。
その理由として、室町時代頃に嶽山城(だけやまじょう)・金胎寺城(こんたいじじょう)が攻め落とされると、諸堂が消失したと伝えられており、その際に不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子は滝の下に移されて焼失を免れたと言い伝えられているそうで、その後、盲目の老僧が現れて瀧谷不動明王寺の不動明王の霊験を人々に説き、小堂を建立して礼拝していたそうなのですが、まもなく老僧は眼が見えるようになり、姿を消したと言い伝えられています。
この盲目の老僧は、空海の化身であるとも、また、空海が作った不動明王が霊験あらたかであることを教えたと伝えられているそうで、この説話から眼病平癒を願う人が参拝するようになったと伝えられています。
また、古くから伝わる眼病平癒の珍しい信仰としては「身代わりどじょう」があり、瀧谷のお不動さまに目の災いを助けて頂こうとお願いする時に、市場で生きたどじょうを買ってきて、身代わりとなってもらうようお願いしてお滝の川に放流するというものがそもそもの始まりだったそうで、その放たれたどじょうが身代わりになって、自分の目を助けてくれると伝えられています。
その他にも、商売繁盛、開運成就などの祈願や、修行僧・一般の参拝者が身を清めるための「瀧行場(滝行場)」と「瀧不動堂」が設けられています。古来より祈願の道場として親しまれ、心身の浄化や祈願成就の場として多くの人が訪れます。
南北朝時代には、楠木正成(くすのきまさしげ)が嶽山(だけやま)に嶽山城(だけやまじょう)を築くと、その守護仏としてこのお寺の不動明王を崇敬していたほど、歴史にも深くご縁があるお寺なので、歴史や地域文化に触れてみたい、ご利益をいただかれたいなど、パワースポットしても修験道にあやかる地域にあるお寺のお力をいただかれてみてはいかがでしょうか?
【境 内】
本 堂…1897年(明治30年)に中興・慈恭僧正により建立。1999年(平成11年)に修理された。
奥の院(奥殿)…1928年(昭和3年)建立。本堂と接続している。
法楽殿…1964年(昭和39年)建立。
観音堂…慶長年間(1596年 – 1615年)建立。1897年(明治30年)に現在の本堂が出来るまで当寺の本堂であった。
寺務所…2019年(令和元年)12月末再建。
御膳場
客 殿…2020年(令和2年)再建。
弁天堂
地蔵堂
納骨堂
栄楽大明神社
稲荷社
多宝塔…1984年(昭和59年)建立。
鐘 楼
山 門
一願不動堂
瀧不動堂
瀧行場
明王殿…2011年(平成23年)建立。
西国三十三所惣拝所…西国三十三所堂の惣拝所。
西国三十三所堂…西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀る。もともとは本堂の裏山に小堂として祀られていたが、1964年(昭和39年)に向山に移された。その後、1991年(平成3年)の山上駐車場の工事により取り壊され、2005年(平成17年)に再建された。
三宝荒神堂…もとは1969年(昭和44年)に向山に建立された。その後、1991年(平成3年)の山上駐車場の工事により取り壊され、2005年(平成17年)に再建された。
【重要文化財】
木造不動明王及二童子立像…寺伝に空海の作というが、実際は後述のように平安時代後期・11世紀末の作。1958年(昭和33年)にこれらの像の解体修理を実施した際、不動明王像の像内に1094年(寛治8年)の墨書が発見され、矜羯羅童子像の内部からは1097年(永長2年)の年記のある紙片が見つかったそうです。このことから像の制作は、1094年から1097年頃に完成したことがわかる。一木で像の大体の部分を刻んだ後、像全体を前後に割り放して内刳りを施した「一木割矧ぎ造」という技法で制作されています。
【大阪府指定有形文化財】
金銅宝珠鈴
【年中行事】
1月:修正会、初不動大法会
2月:節分会厄除け祈願大祭
3月:釈尊降誕会花まつり
5月:柴灯大護摩供春季大祭
7月:観世音夏祭り
8月:盂蘭盆施餓鬼会、地蔵盆
9月:秋季大祭
12月:納め不動
【霊場札所】
近畿三十六不動尊霊場 第三十二番
河内飛鳥古寺霊場 第十二番
















