腰神神社は、富田林市内最高峰・金胎寺山(こんたいじさん)(標高296.5m)より派生する巨岩をご神体とする神社で、楠木正成に関わる伝承が残る神社。
御祭神は箕島宿禰(みのしまのすくね)・八大竜王(はちだいりゅうおう)・猿田彦尊(さるたひこのみこと)・国光大明神(くにみつだいみょうじん)を祀られています。
創始は大化の改新(645年)頃とされており、紀伊国の豪族であった箕島宿禰(みのしまのすくね)文武の師範として紀伊見峠を越え、嬉村(今の嬉地域)に住み、文武を広めた後にその功績を称えられこの腰神神社に祀られたとされています。
元仁の頃(1224年頃)に楠木正成(くすのきまさしげ)が金胎山(こんたいさん)に楠公十七支城のひとつである「金胎寺城」を築き、その後、建武元年(1334年)、観心寺(かんしんじ)にいた楠木正成が後醍醐天皇の命で鎌倉幕府討伐の途中、愛馬・千早丸の腰が立たなくなり、この神社の藤の木につないでおいたところ治ったと伝えられています。
そして、勝利を祈願し、幕府討伐に出陣したと伝えられています。
この時、楠木正成より嬉村城山の守神として、1寸8分(約2~3cmほど)の黄金毘沙門天像と菊水の御紋を賜りました。
それ以来、神社に絵馬がかけられるようになり、名もある武将も多く参拝したと言う由緒ある神社となりました。
樹齢700年の藤の木は今もまだ現存しており、腰痛に霊験あらたかとして参詣する人が多いと言われています。