河内大塚古墳(かわちおおつかやまこふん)<大塚陵墓参考地(おおつかりょうぼさんこうち)>は、墳丘長335m、前方部分幅230m、後円部直径185mの前方後円墳で、墳丘の外周には周濠が廻り、周濠を含めた全長は420mにも及びます。
松原市西大塚と羽曳野市恵我之荘との市境界にまたがっており、古市古墳群の西端に位置する日本で5番目に大きい古墳です。徒歩20~30分で全周することができます。
前方部には江戸時代以降、丹北郡東大塚村の集落が形成され、堺の丹北郡西大塚村の田畑も耕されており、後円部には氏神社の大塚社(天満宮)が祀られていました。また、中世・戦国時代には土豪の丹下氏が丹下城を築いていました。
大正10年(1921年)に国の史跡指定を受け、大正14年(1925年)には陵墓参考地となりました。
そして昭和16年(1941年)には、史跡指定が解除され、宮内省(現在の宮内庁)によって、現在に至るまで管理が続けられています。
墳丘長 335メートル
前方部幅 230メートル
後円部直径 185メートル
前方部高さ 4メートル
後円部高さ 20メートル