羽曳野市のほぼ中央に位置する前方後円墳で、宮内庁によって明治13年に「日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみことはくちょうりょう)」に治定されました。
墳丘長は200m、後円部直径106m、前方部幅165m。前方部幅が後円部直径の1.5倍で高さも前方部が約3m高くなっています。
宮内庁による墳丘後円部の発掘調査では、10cm間隔をおいて円筒埴輪が列をなして巡らされていることが確認されました。これらの埴輪と周囲の古墳から出土する円筒埴輪は、中期でも新しい時期の特長を示しています。
古墳北側での発掘調査では、屋根の網代を表現した埴輪や盾形埴輪などが見つかっています。墳形は百舌鳥古市群の土師ニサンザイ古墳と相似形と指摘されています。
『日本書紀』や『鳳神社縁起』等に「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢・能褒野でなくなり、白鳥となって大和・琴弾原を経由して古市に飛来しました。その後、埴生野に向かって羽を曳くように飛び去った」と記され、こうした白鳥伝説が羽曳野市の名前の由来となっているようです。
古墳の北側に竹内街道が通っているので、そこから古墳全体の雰囲気を感じることができます。
写真:羽曳野市教育委員会提供