天正山 西方寺は、與九郎稲荷大明神も鎮座する旧毛人谷村の浄土宗京都知恩院の末寺で「天正山神宮院西方寺」と言い、昔から碁の好きな住職のところへ毎晩、碁の相手に通う与九郎キツネの伝説で親しまれています。
現存する本堂は、正面にある向拝(ごはい)を支える柱の特徴や腰高障子を使用している点などから、建築年代は江戸時代初期を下らないものとみられ、浄土宗の在郷寺院建築としては大阪府内で最古とされるお寺のひとつに数えられています。
本堂には、お寺の御本尊である「阿弥陀如来坐像」が祀られています。この仏像は、1683年(天和3年)に尾州名古屋の伊藤治郎左衛門から寄進されたものだそうで、像高143センチあるそうです。
寄木造(よせぎづくり)で作られた坐像の堂々とした姿は、平安時代中期から後期頃(9世紀後半頃~12世紀末頃)の藤原時代の頃の様式が用いられており、鎌倉時代末期(14世紀末頃)の作像と指定されます。
お寺には大阪城築城の残りの材木を使って本堂が建てられたという言い伝えがあります。江戸時代の頃、お寺が河内国の浄土宗寺院の中で代表的な寺院であったこと、浄土宗が徳川将軍家に結びついていたことなどから考え合わせると、この言い伝えにはかなり信憑性(しんぴょうせい)があるかと思われます。
※現在は建て替えられており、本堂は現存していません。
















