楠木正行(くすのきまさつら)が1339年(延元4年/暦応2年)に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する仏堂を建立したのが起源とされています。
1348年(正平3年/貞和4年)に開基された楠木正行とその弟:楠木正時(くすのきまさとき)が四條畷の戦いで討死した後、二人の母で楠木正成(くすのきまさしげ)正室である久子(ひさこ)は観音殿があったこの地に草庵を結び隠棲したと言われています。
久子は出家し、敗鏡尼(はいきょうに)と名乗り、念持仏の十一面観音を奉祀して夫と息子、一族の菩提を弔いつつ16年間の余生を過ごしたと伝えられています。
秋は寺を覆う紅葉が見事に色づき、訪れる人の心を癒してくれます。
本堂…1922年(大正11年)に再建
書院…1928年(昭和3年)に建立
庫裏「恩光閣」…1932年(昭和7年)に建立
客殿でもある。昭和天皇の御大典大礼の建物を宮内省より下賜、移築された。
楠妣会館…檀信徒会館。1990年(平成2年)落成
加藤鎮之助像…胸像。当寺を再建した人物
秩父宮殿下御手植のクスノキ – 富田林市指定保存樹木
南江久子の墓
楠木一族の供養塔…七重石塔
観音堂…1917年(大正6年)5月に伊東忠太博士の設計により再建
久子の念持仏である十一面観音が祀られている。
草庵「楠妣庵」…久子が隠棲した草庵
1917年(大正6年)5月に伊東忠太博士の設計により再建
南門…1991年(平成3年)建立。裏参道に通じる。
大楠公像…楠木正成の像
山門…1964年(昭和39年)再建
楠公夫人六百年祭の際、山梨県甲州市の恵林寺塔頭青松軒の山門を移築したもの。
楠母子像…1935年(昭和10年)落成
久子と楠木正行の像で岩崎光仁・作